2006年04月23日

無理解評価に関する考察

何書こっかな〜、と思う今日この頃。そして何もないことに気づく今日この頃。・・・て、この「ネタないよ」トークで引っ張るのもそろそろ限界ですねw。

だってなぁ。こっちで語ろうにも・・・。残念ながら普遍的論題においては自らの意見を持ち合わせておりませんので。じゃあ普遍的でない話題ってなんだよ、って言われたらそそくさと退散しますが。

くだらない話として。最近思うこと。あるものを賞賛あるいは批判する際に、受け手としてはどの程度まで評価対象を理解しておく必要があるんでしょう?とりあえず賞賛する場合においては理解の程度は問われないことだけはわかる。では、批判する場合においてはどうか・・・。

例えばパーフェクトストームという映画について。それなりに有名な映画ではあるけれども、見てみてがっかりした人も多いのでは。この時点では受け手は評価対象に対してマイナス評価をつけている。しかしながら、そこに「実はこの映画って実話を基にしてるんだよ〜」という要素を追加したらどうだろう?その時、おそらく評価のマイナスの度合いは減少するに違いない。つまり、その評価対象に対する理解度によって評価が変化したのである。

さらに一般論的な例として。目の前に難解なシナリオの映画があったとする。その映画では何かをほのめかすような行動があったり、作品中には語られなかった謎が多く残されている。この時、その「謎」を理解することなくその映画を評価するのは正しいのだろうか?そうした「謎」の部分にはえてして作品自体の根幹及びメッセージが含まれてる場合が多い。それを汲み取ることなく表面だけを見てマイナス評価を下すのは正しいのだろうか?

ちなみに、別に自分は表面的評価が間違っていると言う気は無い。いちいち全ての対象に対して深い理解を求められては面倒甚だしいし、作品に対する接し方は人それぞれで正しいも間違ってるもないものだろう。ただ、だ。端的な評価のみに終わるものに関してはいい。評価対象に対して自らの意見を細部にいたるまで述べる場合には、理解しきるまではいけなくとも、せめて理解への努力を行ってもらいたいと思う。理解努力の放棄の上に立つ批判論など、自らの無能力さを明らかにするものでしかない。

・・・長っ!ここまで読んだあなたを一番賞賛したいですw。
posted by 柴犬 at 22:11| 東京 🌁| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
とりあえず君の一番言いたかったことが何かは大体推測つきました。
しかしながら言わせて貰うと、無理解批判に対して批判する人は、高確率でその人自身も同じことやってます。
色眼鏡をかけずに対象を見ることは案外難しいなと僕も実感。

…推測が外れてなければこういう答え方で間違ってないはず。
Posted by de.cros at 2006年04月23日 23:10
あ〜、なんというか、内容合致に加えて今後用に残しといたことまで言ってくれてありがとうというかw。
Posted by 柴犬 at 2006年04月23日 23:36
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。